心臓を貫かれて

心臓を貫かれて

村上春樹訳ということで以前から読もうと思っていた本です。

「みずから望んで銃殺刑に処せられた殺人犯の実弟が、兄と家族の血ぬられた歴史、残酷な秘密を探り哀しくも濃密な血の絆を語り尽す」出版社/著者からの内容紹介より

奇しくも「血脈」なんていうことが騒がれている昨今、そういう意味ではタイムリーな時期にこの本を読みました。

長い本です。

文庫だと上下巻に別れています。

しかし僕は夢中で読んでしまいました。

辛く、哀しくなる本ですが、僕は読むのを止める事が出来ませんでした。


村上春樹さんの「海辺のカフカ」にギリシア悲劇「オイディプス」のお話が出てきます。「父を殺し、母と交わるだろう」と告げられその運命に抗おうとするが結局は予言の通りになってしまいます。

「海辺のカフカ」のなかで、かなり重要な位置を占めるこのお話。


僕はこの「心臓を貫かれて」を読みながら、

結局のところ、その人が生まれる前から、受け継いだ「血」や「因果」によって、その人の「運命」みたいなものはあらかじめ決められているのではないか?

どんなにその運命を回避しようと努めても結局はその通りになってしまうのか?

そんな疑問が頭をよぎりました。


他にも色々な、本当に沢山のことを考えさせられる本です。

訳者のあとがきで村上春樹さんは

「この本を一冊読みとおすことで、僕の人生に対する、あるいは世界に対する基本的な考え方は、少なからず変更を余儀なくされたのではないかと思う。」

と、書いていますが、本当にその通りでした。


しかし、この本を訳されて数年後、村上春樹さんは「海辺のカフカ」を書きます。

さきほど書いたように、この本には「オイディプス」の話が出てきます。

出てくる、というかまさに主人公が「オイディプス」と同じように預言を受けてしまいます。

(読んでない方もいらっしゃると思うのでこれ以上はアレですが・・・)しかし「海辺のカフカ」には救いがあります。いや「救済」の可能性があります。僕はそう思います。

主人公の田村カフカくんの「それでも生きていこう」という意思に、僕はそれを見ます。

村上春樹さんなりの「心臓を貫かれて」を読んだ(訳した)上での答えが、「海辺のカフカ」にはあるんじゃないかなと、見当違いかもしれませんがそんなことを思いました。




ではまた