本当はここで日記なんか書くより、色々しなきゃいけないことがいけないことがあるんですが。

 今よりちょっと若かった頃、僕は「何か」になりたくって仕方なかった。

輝かないこの瞳がいやだったり、憧れている人が「3時間しか寝ない」なんて言ってるインタビューを読むと7時間寝ないと体調が悪くなる自分を呪ったし、「目的も無く散歩をする人の気が知れない」と、ある作家が書いていると「散歩、だめかあ・・・」なんて思ったりしました。

でも、まあ、仕方ないですよね。「俺も3時間しか寝ない!」なんていって具合悪くなるより7時間寝たほうが僕は気分が良いし(とくにこんな暖かな春の日は)、一人の部屋を出て、自転車で行けば5分で着くコンビニをぼんやりと歩いていく時間が僕には何故か大事だったり、僕のひとみが好きだという人がもしかしたら(もしかしたら!)いるかもしれない。(少なくとも今は「悪くないじゃん」というか「まあ、こんなもんだろ」くらいには思っています。)

こういうことを書くと、「仕方ない」とか「諦める」みたいな否定的ニュアンスの言葉が出てきてしまうのが残念ですが、ちょっと違うんだよなあ。

それよりは、そんな自分を認める、って感じなのかもしれません。

「自堕落な自分を認める」っていうことではないので、また難しいのですが。

でも最終的に、ほんとの最後の最後に自分を認めてくれるのは自分だと思います。

それすら出来なくなったとき、もし周りに誰もいなかったら、人はボロボロになってしまう。

燃料は自分の中にあるし、それを燃やすのも自分で、そして前に進むのも、やっぱり自分です。

後悔の無いよう、後で誰かの所為にしないよう、己で選択し、決めて生きたい。


 どうやら世の皆さんが、空気で、あるいはなんとなく、もしくは言語化するまでもなく、体得し行使している「生き方」みたいなものを、僕は良く分かっていないのかも知れません。

かつて、地方から初めて東京に出てきた4月、電車のドア付近に乗り込み、駅に着きドアが開いてどんなに人の邪魔になってもホームに降りられなかったように、当たり前のルールが僕には飲み込めていないのかもしれません。

そのたびに恥ずかしい思いをしたり、人に「こういうときはこうするんだよ」と教えてもらったり、自分で「こういうことなのかなあ?」と試してみたり、「なんでこうなるんだろう」と納得できなかったり。

しかし、まあ、これも仕方ない・・。それすら、そんな駄目な経験すら「糧」にして生きていくしかない。

きっと今書いているこれらも、読まれる人にとっては「何を当たり前なことを」とか「なにをとんちんかんなことを」と思われることだと思いますが・・・。

それも、まあ、ね?

でも良くないな、読まれる方にとって何かしら有益な情報が書かれていることがブログというものの、なんというか、条件?かなと思うので。

あ、「3月のライオン」7巻を読みました。

3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)
3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)

7巻も相変わらずとっても楽しいですよ。


たくさん書いているつもりでも、読み返してみると結構一瞬でいつも驚きます。


ではまた書きます。

より分かりいい文章で