タイトルの歌詞は真心ブラザーズの

「マイ・バック・ページ」
作詞:BOB DYLAN 日本語詞:倉持陽一

です。



 高校生の時、僕は自転車で学校まで行っていました。(調子に乗って原付で行ったりもしましたが)

自転車で25分、傾斜はそこまでありませんが長い坂道が続きます。

にもかかわらず僕は、どんな時も一度も「立ちこぎ」することなく登校しました。三年間。普通の自転車で、サドルを一番低くして。

足を鍛えようとかそんなつもりは全然ないんです。


なぜそんな理解しがたい、地味で無意味な行為をしていたのか。

今となっては、そんな事をしていたという事実を思い出すだけで、当時の僕の心境を思い出す事は出来ないのですが(恥ずかしくて思い出したくもないのですが)多分、僕は


朝っぱらから一生懸命自転車こぐなんて、そんな爽やかっぽくて高校生らしくって何より青春っぽいこと、俺は絶対したくないぜ!


みたいなことを思っていたと思います。

何言ってんだこいつ、って感じですよね。

でも本当にこんな風に思っていたんです。


有り余る自意識、そこからくる羞恥心、高いだけの気位。


それらすべてが僕に失敗を許さず

結果的に僕は

失敗を恐れずに青春を謳歌する奴らを見下し

一生懸命汗を流す運動部を馬鹿にし

喧嘩の強そうな人たちの視線を避け


周りのみんながその若さで様々な事に挑戦するなか、「何もしない」という選択肢を選ぶことで、世界に反抗を試みました。

そして(矛盾するようですが)、「何もしない」ためのルールを自分に課していきました。

「登校時立ち漕ぎ禁止令」もその一つです。

僕は矛盾だらけで複雑なルールを順守しながら、(勝手に)つらい高校生活を過ごしました。

だけど僕はずっと心に抱いていました。

俺は本当は凄いんだ!

という根拠のない、しかし強い思いを。この思いが僕の高校生活を励まし温め、支えてくれました(結局自分は凄くないと、これは後々気づくのですが)。

おかげで僕は無事高校を卒業するわけです。

話は少し変わりますが、もっと充実した高校生活を過ごしていたら、僕は俳優を志していなかったと思います。まず間違いなく。



 前置きが長くなってしまいました。

「時が経てば、君は少し素直になって少しは生き易くなる」

東京に来て五年以上過ぎた頃、相も変わらずあまのじゃくで物事を斜に構えていた僕に、ある方がそんな予言をしました。

それから僕は、少しづつ自分の中のルールを廃し、単純化していきました。(もちろんその過程にも本当に様々な出来事がありました、が、それはまた別のお話。)

そして今に至ります。

おかげさまで確かに生き易くなりました。

虚栄心がいくらか減って、結局自分以外の人間にはなれないんだと気付きましたし、出来ない事がたくさんあることも自覚しました。

少しは身の丈に合ったものの考え方ができるようになったと思います。

何より、周囲の人に対して「何者かぶった」もっといえば「凄い人ぶった」態度を取らないでいいんだと気付いた時、だいぶ精神的に楽になりました。

まさにいいことづくしです。



 しかし、最近「何か違うな」とも思うんです。

あの頃の、悶々とした自分がもしこのままいなくなってしまったら、僕はそれをただ「成長した」なんて言葉で片付けていいんだろうか。

かつての自分のような後輩を見て、「俺も若い時ああだったなぁ」なんて言ってていいのだろうか?


僕にはまだ解りませんが、少しくらい生き辛くても煩悶して生きていこうかな、と思ったりします。

あのころより若く

この言葉の正確な意味を僕はまだ、わかりかねているのです。