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【一人芝居オムニバス】
10 minutes of ONE MAN PLAY vol.7
2012年10月31日
SARAVHA東京
2012年10月
なんのなんの
心臓を貫かれて
村上春樹訳ということで以前から読もうと思っていた本です。
「みずから望んで銃殺刑に処せられた殺人犯の実弟が、兄と家族の血ぬられた歴史、残酷な秘密を探り哀しくも濃密な血の絆を語り尽す」出版社/著者からの内容紹介より
奇しくも「血脈」なんていうことが騒がれている昨今、そういう意味ではタイムリーな時期にこの本を読みました。
長い本です。
文庫だと上下巻に別れています。
しかし僕は夢中で読んでしまいました。
辛く、哀しくなる本ですが、僕は読むのを止める事が出来ませんでした。
村上春樹さんの「海辺のカフカ」にギリシア悲劇「オイディプス」のお話が出てきます。「父を殺し、母と交わるだろう」と告げられその運命に抗おうとするが結局は予言の通りになってしまいます。
「海辺のカフカ」のなかで、かなり重要な位置を占めるこのお話。
僕はこの「心臓を貫かれて」を読みながら、
結局のところ、その人が生まれる前から、受け継いだ「血」や「因果」によって、その人の「運命」みたいなものはあらかじめ決められているのではないか?
どんなにその運命を回避しようと努めても結局はその通りになってしまうのか?
そんな疑問が頭をよぎりました。
他にも色々な、本当に沢山のことを考えさせられる本です。
訳者のあとがきで村上春樹さんは
「この本を一冊読みとおすことで、僕の人生に対する、あるいは世界に対する基本的な考え方は、少なからず変更を余儀なくされたのではないかと思う。」
と、書いていますが、本当にその通りでした。
しかし、この本を訳されて数年後、村上春樹さんは「海辺のカフカ」を書きます。
さきほど書いたように、この本には「オイディプス」の話が出てきます。
出てくる、というかまさに主人公が「オイディプス」と同じように預言を受けてしまいます。
(読んでない方もいらっしゃると思うのでこれ以上はアレですが・・・)しかし「海辺のカフカ」には救いがあります。いや「救済」の可能性があります。僕はそう思います。
主人公の田村カフカくんの「それでも生きていこう」という意思に、僕はそれを見ます。
村上春樹さんなりの「心臓を貫かれて」を読んだ(訳した)上での答えが、「海辺のカフカ」にはあるんじゃないかなと、見当違いかもしれませんがそんなことを思いました。
ではまた
あっち
原宿は表参道をちょっと入ったところに浮世絵大田美術館はあります。
僕はここで開催されている「没後120年記念 月岡芳年」展に行ってきました。
本当は随分長ーく感想を書いたのですが・・・
月岡芳年 幕末・明治を生きた奇才浮世絵師 (別冊太陽)
以前買ったこの本で、横尾忠則さんが月岡芳年について書いています。
僕が書いたものよりずっと上手く分かりやすく、僕の言いたかった事と同じようなことが書かれていたので・・・僕は随分ガッカリしました。
横尾忠則さんは、
「芳年の周辺には様々な亡霊が憑きまとい、亡霊は芳年という霊媒を使って(芳年もまた亡霊を利用して)霊界の様子をこの世に絵として現しているのだ。死者の霊が『救い』を求めるのと同じく、彼もまた『救い』を求めていた、己の因果からの解脱を。人間の業。芳年は描くことで業を重ね、また、描くことで業の荷を下ろしていった。芳年は己の因果に相当苦しんだだろう。因果からの解脱をどんなに望んだだろう。」
(要約していますが)このようなことを書いています。
以下、僕の感想を。
一魁随筆という作品群の中の一枚「真田左エ衛門幸村」という絵は、戦場の沼地で敵の様子をうかがっているような幸村を描いた絵です。
一見するとただの戦場の絵なんですが、僕にはなんだか彼が夢の中で戦っているように思えてなりません。もっとも、そんな注釈はどこにも無いのですが。
彼の背丈ほどもある蓮が茂っているのでそう感じるのかもしれません。
おなじ一魁随筆の中の「山姥 怪童丸」、「托塔天王晁葢」にもこの世のものとは思えない凄みを感じました。
まあ、これらは実際にこの世のものでないものを描いているのですが・・・なんだかそれ以上のモノを、絵を超えた「なにか」を感じさせます。
これらの絵を描く1~2年前、彼は神経衰弱に陥り、この一魁随筆が売れず病状はさらに悪化したとあります。
この頃より以前にも、彼は異形のもの、血なまぐさい絵を描いていますが、この一魁随筆シリーズ、そして病気を克服してからの絵はより一層の凄みを持っています。
僕の勝手な推測ですが、月岡芳年はこの神経衰弱に罹った数年間、「こっちの世界」と「あっちの世界」を行き来し、時には「あっちの世界」に引きずり込まれそうになりながらもその目を開き、その世界の様子をつぶさに観察して、ギリギリの状態でなんとか「こっちの世界」に生きて生還したのではないか?と思います。
その後描かれた「西郷隆盛霊幽冥奉書」や「平清盛炎焼病之図」などを観ると、僕はそう思わずにいられません。
そして彼が「あっちの世界」で得た物は、こういった凄みのある絵のみに生かされたわけではありません。
この世のものとは思えないほど美しい絵も描きました。
「藤原保昌月下弄笛図」
「東名所墨田川梅若之古事」
「日蓮上人石和河にて鵜飼の迷魂を済度したまふ図」
最後の絵なんか、観ている僕まで手を合わせて祈りたくなるようでした。
芳年の絵の魅力はそれだけではありません。
「義経記五条橋之図」
純粋に、単純に「カッコいい!」と思わせるドラマチックな絵を沢山描きました。
この「月岡芳年」展、前期と後期に別れており、11月には展示する絵がほとんど変わるそうです。
11月も観に行こうと思います。
ではまた
粋
次郎長三国志 第一集 [DVD]
とりあえず第一作「次郎長三國志 次郎長賣出す」と第二作「次郎長三国志 次郎長初旅」を見ました。
あの、皆さんは「意味不明な感動」のご経験はありませんか?
表面的にはなんとも無いのに、心の奥深くを鷲掴みにされるような。
僕は、初めて「七人の侍」を観た時、三船敏郎演じる菊千代が家族を殺された赤ん坊を抱いて「こいつは俺だ」と言うシーンで涙が止まりませんでした。(まあ、これは泣けるシーンなんですけど・・・)
二作目の「次郎長三国志 次郎長初旅」の最後、森繁久彌演じる吃音の森の石松が堰を切ったように口上を述べるシーン、彼が最後ピシャッと頭を叩き「ええい!粋なやくざでござんす!」と言ったとき、気が付いたら僕は涙を流していました。
この森の石松、二作目の最後の方にちょっと登場するだけです。
まだ見ている人はこの森の石松なる男がどういう人間なのか、ほとんど分かっていません。
にもかかわらず、口上一つで観客をうならせる、感動させる森繁久彌さんってホントにすごい俳優だなと思いました。
作品は、カラッとした明るさがあり、人情があり、青春っぽさもあり、とても楽しく見られます。
血で血を洗う殺し合いのような展開も(今の所)無いのに、ちょっとした事件やエピソードでここまで面白くみせる力量は凄いと思います。
続きが非常に楽しみな(全九作)「次郎長三国志」です。
ではまた
勘平の気持ち
美味しいか恋しいか
冬の夢
圓生古典落語 1 新版 (集英社文庫)
圓生古典落語 2 新版 (集英社文庫)
いずれも未だ全部読んでないものばかりです。
古本屋さんが好きです。
大きくて綺麗な所じゃなくて、ちょっと寂れてる、昔からやっているようなところです。
おじいさんとおばあさんが、かわりばんこに店番しています。
時々、孫かなんかが遊びに来ていて、奥にみえる居間でテレビなんかを見ながらおもちゃなんかで遊んでいます、こころなしかいつもより表情の柔らかいおじいちゃん。
先日
これ下さいと「円生古典落語」(2巻セットで450円)をおばあさんの前に出すと、奥からドタドタと足音が。
「猫が来るのよー」と、おばあさん。
どうやら店の近辺に猫が多いらしく、困っている様子。
今まではそんなに来なかったのが、近隣のお店がみんなねこいらずを置いたため、流れ猫たちが店の裏手に集結し、なにやら夜中まで雑談したり、飲んだビールの缶をそのまま置いて帰ったり、はてはバイクのエンジンを空吹かしするそう、「なめんなよ」といった具合で。
さっきのドタドタはそれを追っ払うための、おじいちゃんの機敏な動きでした。
おばあさんがそんな話をする中、いつの間にか戻ってきた(普段クールが売りの)おじいちゃんは、自らの機敏な動きを恥じるかのように、僕とおばあさんの会話に参加することも無く、所在なさげに、しかし、店主としての自らのプライドを皆に示すかのように、居間の中央に腰を下ろしました。
おばあさんの話はまだ続きそうでしたが、この会話の先、もしおじいさんの汚点をおばあさんが何か話すようなことがあったら、いや、おじいさんの話題が話題に上るだけでも、おじいさんのプライドは、いたく傷付き、僕が店を去った後、おばあさんに理不尽に冷たく当たるおじいさんが容易に想像できました。
翁「おい」
媼「はい?」
翁「あんまり客とだらだら話すもんじゃねえやな」
媼「え?だってお前さん、、」
翁「だってもなにもねえ、だいたい猫がどうしたのなんておめえのつまらねえ話聞く客の身にもなってみろ。よくおめえ恥ずかしくねえな。ああ、いやだいやだ。」
媼「ああ、それもそうかもしれないねえ。すまないねえおじいさん、あたしが変な話しちゃったばっかりに・・。」
翁「あ、イヤ、マア、わかればいいんだがよ・・。」
なんて、ギクシャクした空気になっては事だと思い、僕はおばあさんの話も早々に店を後にしました。
そんな古本屋が、僕は好きです。
それではまた