2011年11月

姿勢という言葉には

体の構え、かっこう

という意味のほかに

心構え、態度

という意味もあります。


体の内と外の事なのに、おんなじ言葉が使われているなんて考えてみれば面白いことです。


僕が最近思うのは

この姿勢という言葉、伊達に二つの意味をもっているわけではなく、二つの意味はお互いに繋がっている

ということです。


どうしてそんなふうに思ったのかといいますと、、


震災以来、僕はあんまり体調がよくありませんでした。
(本当はこういった事はあまり書きたくないです、実際に被害に遭われた方々のほうが僕なんかとは比べ物にならないくらいに苦しんでおられますし、「俺こんなに心痛めたんだぜ、苦しんだんだぜ」みたいになるのも嫌だからです。しかしまあ事実として)

でも、体調がよくなかったと今でこそ書けますが(だいぶ良くなってますし、なんとなく原因みたいなものも解るようになりました)その渦中にいる時って、自分の体が今どういう状態なのかなかなか分からないものです。

なんとなく眠れなかったり

腰が痛かったり(まあ腰は以前からそんなに良くないんですが)

考えがどうもネガティブだったり

まあ他にも色々と、とにかく調子が良くなかったのです。


そんなある日、ふと鏡を見て僕はある変化に気が付きました。

「なんか、肩がガッチリしてきた」


僕は以前(二十代中ごろ)、わりと短い期間で肩幅が広くなった事があって、今回の変化も

「ああ、きっと体が青年から大人へと、男性ホルモンの影響かなんかで変わって来てんだな。そういや髭も最近伸びるの早くなってきたしな。」

なんて思っていました。


で、しばらく放っておいたんですが、相変わらず調子の良くない日々が続きました。

舞台の本番や稽古など、緊張した後には腰が痛くて椅子に座っているのも辛かったりもしました。


話は少し変わりまして、、

僕の父は自己流のマッサージみたいな整体みたいなものが得意で、猫背だった自分をストレッチみたいな体操みたいなもので自ら直したという(おもしろい)人なんですが、父は僕の背中にかつての自分を見るのか常々僕に

「猫背を直せ」

と言ってきます。


僕は桂歌丸さんとか宮藤官九郎さんみたいな首がちょっと前に出た猫背がわりと好きなので(あと姿勢の良すぎる格闘家があまり好きではないこともあって)「猫背派」を貫いてきました。


その後も肩は張り続け、そのうち手を長時間上に挙げているのがつらくなったり首の動きが悪くなったりしてきました。

それと猫背の人によくあるのですが、手を普通にダランと下げた状態でもちょっと肘が曲がっています、意識しないと真っ直ぐにならないのです。

実家に帰ると、父は僕の腕を揉んで「あー、こりゃだめだ、猫背のせいだ」と言います。

僕もそろそろ

「これは、まずいんじゃないか?このままじゃ俺、真っ直ぐ立てない役者になっちゃう。猫背の役ばかり来るわけでもなし。ちょっと直してみようか」

と思い立ち、姿勢を改善することにしました。



しばらくすると、盛り上がった肩が下がってきました。

ここで本当に久しぶりに、自分がこんなに肩や首の筋肉を収縮させて生きてきたのか、と気付かされました。

以前の自分は(震災がおきる前の自分です。単純に時期的なものだったのかもしれませんが、どうしてもこういう言い方になってしまいます)肩がこんな状態になる前に「おい、力入ってんぞ」と呼びかけてくれるストッパーのようなものが機能していたように思われます。

そのストッパーのようなものが猫背の僕を、知らないところで助けてくれていたんですね。

そして、いつの間にかそのストッパーが機能しなくなっていて、僕自身それに気付かずにいました。



埋もれていた首や鎖骨が姿を見せてきました。

まるで首が長くなったんじゃ?と錯覚するくらいです。


そして僕は

「そう!そうだよ。俺ってこういう体だったじゃん。」

と、かつての体に再び出会うことができました。


とっても長くなってしまいましたが、何が言いたいのかというと、

こころとからだって本当につながっているんだ

ということです。


体が変わってくると精神的にも変わってきました。

なんとなくネガティブだったのが少しづつ前向きにものを考えられるようになってきました。



地震の後

「ああ、なんとかトンネルから抜けたな。」

と、思うことが何度かありました。


その度に、

「もうこれで大丈夫。いつもの俺だ。」

と思っていましたが、(何度もそう思うってことは)結局『いつもの俺』には戻れていなかったってことなんですよね。


そして今の僕も、未だに『いつもの俺』ではないかもしれません。

そもそも地震の前の『いつもの俺』、かつての僕にはもう戻れないのかもしれません。

時間は戻せませんし、物事は常に変わっていくものです。


でも、そういった事も、今では少しづつ前向きにとらえられるようになってきた気がします。


それに気付けたのも姿勢を正そうと意識したからですし、さかのぼれば父が口酸っぱく「姿勢を正せ」と言い続けてくれたおかげです。


体の姿勢を変えることで、物事に対する姿勢も変わる。というお話でした


「姿勢」って大事だね、ってことを言おうとしたらこんなに長くなってしまいました・・・。

最後までお付き合いして下さった方、どうもありがとうございました。

それではまた


僕は小沢健二が好きなのですが、彼は「強い気持ち・強い愛」という歌の中で


屋根を走る仔猫のように僕は希蹟を待っていた

夜をブラつき歩いてた

全てを開く鍵が見つかる そんな日を捜していたけど

なんて単純で馬鹿な俺


と歌っています。

とっても素敵な歌詞ですし、こういう、歌詞にあるような「何かを期待する感覚」って僕はよく分かります。

待っているだけじゃあしょうがないんですけどね・・。


ですのでこの歌詞を

俺こんなんだったぜ!

と、とても明るく歌い上げる小沢健二さんが羨ましいです。


何かを決定して行動する

生きていくって、それの繰り返しだとなんとなく思います。

思ってはいても、なるべく色んな事を保留したり後回しにしたくなる自分がいますね。



 さて、そんなこんなでこのブログも100記事を数えるようになりました。

これも、読んで下さる皆様のおかげだと思っています。どうもありがとうございます。

一方的で、また文字の上ではございますが、今後とも皆様にお付き合いいただければと思います。

それではまた


漫画「Real Clothes」は僕の周りに読んでいる方が(おそらく)いないので、漫画喫茶かレンタルコミックで読む必要があります。

ビデオ屋さんに行ったらいつの間にか12巻まで出ていたので11、12巻を借りて読みました。

相変わらず、とても面白いです。

11巻で入院した田淵が退院間近に、女の子が雑誌の切り抜きで作ったノートを見て

「これは、百貨店だ」

と、自らの原点に立ち返るシーンはとても感動しました。


 さて地震から8カ月が過ぎました。

直接的に地震とは関係のないことですが、あの頃以来、僕が考えているのは

ダメなとき、どう過ごすか?

ということです。

ひと口にダメといっても色々なダメがあります。

ちょっと調子が悪いとか、なんか上がってかないとか、何回やっても勝てないとか、目的を見失ったとか。


その答えはいまだに見えていないのですが、今なんとなく僕が思うことは

たとえ今日がダメでも明日は、明日がまたダメでも明後日は、このまま悪い時がずっと続いてくことはないんじゃないか

と、そんなふうに思うことが、信じることができたらいいと思います。

その間に、ジタバタしたり、あたふたしたり、ちょっと立ち止まって休んでみたり、解けそうな結び目から、ひとつひとつ解決したりして、いつの間にか長いトンネルから抜け出した時

全ての物、たくさんの人たち、そして流れていった今までの時間に

感謝したくなるような、そんな瞬間が訪れるのだろうと信じています。

小林可夢偉選手の8戦ぶりの入賞、その1ポイントの重さ

上田桃子選手の2年3ヵ月ぶりの優勝、インタビューで流れた涙

をみて、あらためてそんなふうに思いました。


それではまた


「ゴッドファーザーPARTⅡ」にキューバ革命のシーンがあります。

そのシーンが来ると、「このシーンと同じ時間軸にカストロやチェ・ゲバラがいるんだなあ」なんて全然関係ない事を考えてしまいます。

いわゆる「アラブの春」なんかの映像がニュースで流れて、そこで喜ぶ人達をみると僕は

「この人たちは次の日どうなるんだろう?」

と思います。

「最悪明日は店閉めたとして、まああさっても休みでいいか、でもいずれは働かないとな、俺も生きてかないといけないし」

みたいなクールさを、きっと心のどこかにもってたり、またいずれ持たなくてはいけないのでしょう。

思えば日本だって江戸幕府が終わっていきなり「文明開化だ―!」みたいになったわけではないですしね。

革命後の、なんか、そんな、よくわかんない、政治的空白な彼らの数日間を思うと、僕はなんかドキドキします。

小学生の頃、台風で朝からすっごい暴風雨。「こりゃあ連絡網くんじゃねえかな。今日休みって。」なんて思いながら朝食を食べ、電話が鳴るのを待つ。

そんな感覚にもちょっと似ています、不謹慎かもしれませんが。

当日になっていきなり仕事が無くなった日、ぽっかり空いた昼間に、晴れた町を近所のコンビニまで歩いている時に、そんな感覚に襲われます。

僕はそれを「歴史的空白」と呼んでいます。(別に全然「歴史的」じゃないんですが・・)


そして今、タイが水浸しです。


革命と水浸し。

この二つで僕が連想するのは山本直樹さんの漫画「僕らはみんな生きている」です。

アジアにある発展途上国タルキスタン(架空の国)に日本のサラリーマンが出張に行くというお話です。

残念ながら、本が手元にないのですが確かこんなシーンがありました。


主人公が現地の妖しいそして魅力的な女性、セーナに出会います。

(たしか雨期で)町中が水浸しになった深夜、主人公が外に出ると、彼女が水浴びをしています。

彼らは膝まで水に浸かりながら、外でセックスをします。

そして朝主人公が目覚めると彼女はいなくなっていました。


僕はこのシーンがとっても好きです、なんだか不思議で、とても切なくて。

朝起きて、昨夜の膝までの水、浮かんでいた月、彼女の美しさ、あまりにも幻想的で、まるで全てが夢だったんじゃないか?

読んでいる僕らにさえもそう思わせる、そんな素敵なシーンです。


興味がございましたら、ぜひ御一読ください。

僕もまた読みたくなっちゃいました・・

それでは


ネットがしばらく止まっておりまして、ブログを書かずに過ごしてしまいました。

携帯でも書けるのですが、あんまり小さい画面でちょこちょこ書くのが好きでないもので、、どうもすみません。

とは申しましても、特に書く事もございません。

ので最近読んだ本でも羅列しようと思います。

NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 アメリカ先住民から学ぶ―その歴史と思想 (NHKシリーズ)
NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 アメリカ先住民から学ぶ―その歴史と思想 (NHKシリーズ)


木村伊兵衛―人間を写しとった写真家 (別冊太陽 日本のこころ)
木村伊兵衛―人間を写しとった写真家 (別冊太陽 日本のこころ)


チヨ子 (光文社文庫)
チヨ子 (光文社文庫)


昭和の藝人 千夜一夜 (文春新書)
昭和の藝人 千夜一夜 (文春新書)


時代劇は死なず! ―京都太秦の「職人」たち (集英社新書)
時代劇は死なず! ―京都太秦の「職人」たち (集英社新書)


團十郎と海老蔵 (学研新書)
團十郎と海老蔵 (学研新書)


うらおもて人生録 (新潮文庫)
うらおもて人生録 (新潮文庫)


色川武大 (ちくま日本文学 30)
色川武大 (ちくま日本文学 30)


狂人日記 (講談社文芸文庫)
狂人日記 (講談社文芸文庫)


人生作法入門 (河出文庫)
人生作法入門 (河出文庫)


Sunny 第1集 (IKKI COMIX)
Sunny 第1集 (IKKI COMIX)


内田百けん (ちくま日本文学 1)
内田百けん (ちくま日本文学 1)


なんというか、嫌味にみえたらごめんなさい。

「へへん 俺ぁこんなに本読んでんだ、偉いだろう」みたいな思いは全くありません。

というより、ただ好きで読んでいるだけで、(僕は最近本当にそう思うのですが)本読んでるからって、なにか直接的に自分にプラスになる事ってまず無いです。

なにもしていないよりはまだましだろうって具合です。

自己啓発的な本を読んで、人付き合いが上手くできるようになればいいな、社会の役に立つ人間になりたいな

吉行淳之介のエッセイを読んで、上手に女の子を口説けるようになるかなあ、さりげなくデートに誘えるようになるかしら

なんて思っても、なかなかどうして、相変わらずの僕です。

「狂人日記」を読んだ時なんて、その夜から不眠が続いて困ってしまったり、そんなこともあります。

まあ、読書の秋ということで。



 自分なりの目線で色んな事象に対し、「演劇的」かそうでないか判定したりします。

その事について仲間内で話したりします。

「あの謝罪会見は演劇的だ」とか、まあ上手い例えが見つからないのですが他にも色々。

(ここでいう「演劇的」というのは「嘘っぽい」とか「ドラマチック」みたいなのとはちょっと違って、定義もあいまいなものです、しいて言語化すると「不条理にドラマチック」な感じといったところでしょうか)

先日、甲府に帰省し岡島百貨店に新しくオープンしたジュンク堂に行き(大きな本屋さんができてとても嬉しいです)家まで歩いて帰りました。

必然的に繁華街を歩くことになります、幼い頃から友達の内で「マチ」「中心」といえばこのエリアを指しました。

久しぶりにマチを歩きました。今は、いわゆるシャッター通りです。

本当に「演劇的」な朽ち方をしている、と思いました。

そして改めて、甲府を舞台に撮られた映画「サウダーヂ」を観に行こうと思いました。

同じ監督が撮られた「国道20号線」と「サウダーヂ」。

どちらも僕はまだ観ていないのですが、予告編やインタビューなど、それだけでかなり影響を受けました。

ことし六月に上演した舞台も僕なりの甲府を描いたものです。

しかし、どこか他人事のように「演劇的だ」なんて思っている僕はきっと、「サウダーヂ」の持つ甲府の切迫感に打ちのめされる気がしてます。観てもいないのに。


 僕はつい最近まで知らなかったのですが、ビーチボーイズの幻のアルバムと言われた「スマイル」が間もなく発売されます。

スマイル
スマイル

とっても楽しみ。

以前も紹介したかもしれませんがこのアルバムに収録される「Surf's Up」という曲。

僕の今まで聞いたあらゆる曲の中でbest3に入る、大好きな曲です。



生とか死とかを超えた「何か」を感じます。


 バレーボール ワールドカップ 2011、井上香織選手が脱臼のリハビリのため出場できないそうです。

あの笑顔が観れないと思うととても残念、回復をお祈りします。


 意外に長くなってしまいました。

話題があっちゃこっちゃに飛んでばっかりでごめんなさいね。

それでは

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